2012年4月29日 ワシントン

 日本ではゴールデンウィークの連休が始まっているころと思います。ニュース欄にも掲載しましたが、ワシントンでのNoismの公演は2夜とも満員の観衆の中、全員総立ちのスタンディング・オベイションの大喝采の内に幕を閉じました。Noismの皆さん、本当におめでとうございました。

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(写真)公演前日のリハーサル風景

 

 この共演を実現する過程において、最初はNoismの作品を知らなかった私の中では、様々な疑問と葛藤がありました。バッハが音のみで示す精神的に深く完結した世界を、踊りではどのように表現するだろうか。音楽に踊りが融合することによって、バッハの音の世界に何か新しい角度の光が見えてくるのだろうか。

 20世紀の大舞踏家であり振付師のバランシンが、バッハの「2台のヴァイオリンのための協奏曲」に振付けた名作と言われる「コンチェルト・バロッコ」なども、ニューヨーク・シティー・バレエに見に行ってみましたが、一定のテンポでただ音が並ぶ結果になった音楽は生気を失い、踊りは音の構造をなぞるだけというものに見えました。その時のプログラムによると、バランシン自身はかつて次のように言っていました。「振付は、偉大な音楽の結果として生まれる。音楽がいつも優先される。(Choreography can only be the result of great music. The music is always first.)」

 その時に私が心に決めたこと、それはテンポなどではできるだけ踊り手の要望に応えるように努力するけれど、私自身が音楽に込める思いは妥協しないで毎回演奏で示すこと。音楽が生気を失えば、踊りの意味もなくなってしまうから。

 今回の短い共演期間に、ダンサーと打ち解けて話をする機会が少しありましたが、とても印象に残った言葉がありました。「録音されて掛かっている音楽は、踊っている間、自分たちは実はもう聴いていないんです。動きとして既に体に入ってしまっているから聴く必要がない。今回はライブ演奏と共演してとても緊張しました。毎回ちょっとした間の違いに気を付けていなければならないから。でも本質的にはダンスも同じだと思うんです。」
 
 公演終了の翌日、ワシントンのナショナル・ギャラリーで開かれていた伊藤若冲の展覧会に行ってきました。"Colorful Realm"というタイトルと共に、彼の30の連作作品が展示され、物凄い数の人の波にもまれてきました。カタログもポストカードも既に売り切れ。彼の「動植綵絵」が一堂に会することは海外では初めて、日本国内でもほとんどないとのこと。今年は日本の桜がワシントンに贈られて100年ということで、実現したようです。今日で展示は終了してしまいますが、参考までに。http://www.nga.gov/exhibitions/jakuchuinfo.shtm

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このページは、Reiko Watanabeが2012年4月30日 12:01に書いたブログ記事です。

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