7月17日 生活改善中

そろそろ東京の梅雨明けも間近、猛暑日が続いていますが、お元気でお過ごしでしょうか?毎年今頃は秋田の国際教養大学で集中講義の真最中、のはずなのですが、今年は初秋までコンサートやレコーディングなどを入れ込んでいるので、授業は10月からの予定にしています。

東京にこんなに集中的にいることも珍しいのですが、この機会に東京での生活スタイルを改善中。まず、先月生ごみ処理機を買いました。コンサートなどで3,4日留守にするときに、いつも生ごみの置き場に困っていたのですが、これで完全解決。処理しておいて出かければ臭いもないし衛生的。それにごみの総量も圧倒的に減らすことができます。自治体が助成金を出してまで奨励している理由がわかりますネ。

次に、ベランダで野菜の栽培を始めました。秋田では畑を借りて色々な野菜を育てていますが、今年は春からお仲間の先生に任せています。暑い中での農作業から解放されてちょっぴり嬉しく思っていたのですが、お花屋さんの前を通って苗をみるたびにウズウズしていました。結局7月の3日から、プランター栽培で、トマト3種、枝豆、バジルを始めました。2週間経ちましたが、トマトは黄色くなってきたし、枝豆も膨らみを増してきています。楽しみ〜。

後は、先月おしゃれでポップなピンク色のVAIOのモバイルPCを買って、今までより手荷物を軽く旅行できるようになったこと。それからいつでもバッグに入れておける小さいデジカメもネットで購入しました。これでもう少しまめに写真が撮れるようになります。

ベランダの菜園(?)の写真を添付します。手前に緑のプチトマトの房が見えますが、その奥に微かに白く見えている袋の中には黄色いトマトが実っています。カラス対策です:−)


IMG_0001.JPG

 

 

 

 

6月29日 バーンスタイン

来月9日はオーケストラ・アンサンブル金沢、そして指揮者の高関氏との久しぶりの共演があり、今から楽しみにしています。プログラムはこれも久しぶりにバーンスタイン作「セレナード」。これはレナード・バーンスタインの書いた唯一のヴァイオリン協奏曲です。

多才な人で、コンサート用の音楽もたくさん書いていますが、ミュージカルの不朽の名作「ウェストサイド・ストーリー」の音楽を書いたのもバーンスタインです。実は今年の1月、極寒のニューヨークで、ブロードウェイ再演中の「ウェストサイド・ストーリー」を観にいきました。特徴的で魅力的なメロディ、思わず身体が動いてしまうような変拍子で乗りのよいリズム、ミュージカル音楽の単純さの中にふっと見せる魅惑的なハーモニーの変化など、この作品は今でも十分に「新しく」て「衝撃的」!

ブロードウェイのミュージカルは「オペラ座の怪人」「蜘蛛女のキス」「美女と野獣」「シカゴ」「ビリー・エリオット」など私も結構観ていますが、やはり音楽についてはどれもいま一つ単純さが耳について楽しめない、というのが本音です。「ウェストサイド」は舞台上のコリオグラフィーも楽しめましたが、さすがバーンスタイン、何よりも音楽に深い満足を覚え、これを超えるミュージカルはこれからも存在しないのではないか、と思いました。

ヴァイオリン協奏曲「セレナード」は、コンサート用のいわゆる「シリアス」な作品ですから、もう少し作曲家の手加減しない真剣さと複雑さを持っていますが、官能的な旋律美、対位法的なテクスチャーを使った変容、切れ味の良い変拍子のリズム、ジャズの影響なども見られ、バーンスタインの魅力を存分に楽しめる作品です。プラトンの「饗宴」を再読したことをインスピレーションに、ストーリー性に囚われることなく、「愛」というものの本質について、音楽で自由に雄弁に表現しています。全5楽章はそれぞれが有機的に結びつき、バーンスタインの奥行きの深い音楽世界を余すところなく味わえる作品と言えるでしょう。

 

英国BBCのラジオ「ディスカヴァリング・ミュージック」というシリーズで2005年にこの曲が取上げられていて、その模様をBBCのウェブサイトで聞くことが出来ます。http://www.bbc.co.uk/radio3/discoveringmusic/pip/fxf4x/ 

 

 このシリーズは専門的になりすぎず、一般向けの番組のようですが、実演を掻い摘んで聴かせながら、音楽の構造的な側面を手際よく解説しています。番組の最後に解説者が述べる「バーンスタインのセレナードは演奏される機会は少ないが、素晴らしい名曲である。」という意見に私も大賛成です。英語ですが、興味のある方は上記サイトで是非聴いてみてください。

 どちらかというと日本の同様の一般向けクラシック啓蒙番組は興味本位のトピックに始終してしまう傾向があるように感じますが、BBCのようにもっと音楽の構造的な部分を大事に解説してほしいと思います。音楽は形が見えないけれど、その中にしっかりとした構造が認識できてこそ、その曲の持つ本質的な意味を捉えることができるのです。

 ところで、このようなシリーズをいつでもインターネットから無料でアクセスできるというのも、さすが大英博物館を持つ英国ですね。

 

 

 

 

6月16日 ストラド&デルジェス コンサート

バルトロメオ・ジュゼッペ・アントニオ・ガルネリ(1698-1744)のヴァイオリンにはラベルにIHSのマークが印されていることから、通称「デルジェス」と呼ばれています。IHSとはJesusのギリシャ語の綴り、IHΣOΥΣの最初の3文字。またはラテン語で"Iesus Hominum Salvator"(救世主)の頭の3文字。アントニオ・ストラディヴァリ(1644-1737)と並び賞される名器を残していますが、長生きをして多産だったストラディヴァリに比べて「デルジェス」は音色も対照的で数も少ないため、より高い評価をされる場合が多くあります。

昨日は東京の紀尾井ホールにて、日本音楽財団の主催でストラディヴァリと「デルジェス」の2台のヴァイオリンを使ったコンサートが催されました。ストラディヴァリはドイツ人の有希マヌエラ・ヤンケさんが演奏し、私は「デルジェス」を担当しましたが、6月8日に1736年製のデルジェス「ムンツ」と数年ぶりに再会、親密になれる時間はまだ一週間弱という状況でのコンサートでしたから、正直に言って楽器の持つ可能性の40%くらいしか昨日はお見せできなかったかもしれません。

楽器に再会して最初の2日程は、練習しながら新しい可能性にワクワクして過ごしましたが、それも落ち着くと3日目位から真剣なコミュニケーションが始まりました。人間関係の構築と同じプロセスで、一進一退を繰り返し、喜ぶときもあればフラストレーションに苦しむ時期も過ごしながら、段々に上手くコミュニケーションを取れるようになっていきます。今はまだ最初の段階ですが、これからがとても楽しみです。

 

私が10年以上前に初めて1709年製のストラディヴァリの「エングルマン」を音楽財団からお借りしたときは、ストラディヴァリ特有の艶のある音色と、楽器の完璧な健康状態(長くコレクションとして大切に保管されていたため、ほとんど消耗のない新作のような状態でした!)から来るところのパワーの強さに魅了されました。それまでストラドを弾いた経験がほとんどなかった時期でしたから、音がある程度バランスよく出せるようになると、その音色の美しい艶とパワーだけで喜び弾いていた時期もありました。その後何台かの名器を演奏させていただく期間を経て学んだこと、それはどんな名器であっても肝心なのはやはり自分の出したい音色やニュアンスをしっかりと頭に描いてヴァイオリンと向き合うこと。勿論素晴らしい楽器は何もしていなくてもある程度の響きの美しさを作ってくれますが、それ以上はやはり演奏家が生み出さなければなりません。楽器が提供してくれる新しい可能性に甘えることなく、それを超えるようにさらに自分の要求を高く伸ばしていくこと。今回もそのような気持ちで出来るところまで挑戦していきたいと思っています。

演奏後のお食事会で撮ったスナップを添付します。日本音楽財団理事長の塩見和子ご夫妻、有希マヌエラ・ヤンケさん、共演したピアニストの坂野伊都子さん、そして私です。有希マヌエラさんは、お母様が日本人とのことで日本語も上手に話し、愛らしい人柄の女性でした。坂野さんとは19日にも神戸で共演します。


6月15日 002.jpg

 

 

6月8日 薪能

先週の土曜日に一泊で秋田に行き、薪能を見てきました。

秋田中心市街から車で南へ一時間ほどの所、唐松城跡の丘の上に立派な能楽堂があり、毎年大仙市の主催で薪能の公演が催されます。大仙市は6月の薪能に国際教養大学の留学生や日本人学生、教職員などの数十名を毎年招待してくださっていて、私も今回で4回目の常連です。

小高くなった城跡に建てられた能楽堂からの眺めは美しく、正に日本の田舎の原風景。平地の水田の新緑の間を縫って、2両編成の電車が一時間に数本ゆったりと規則的な音を立てながら走り抜け、周囲には低い山々が穏やかな緑の稜線を造っています。幽玄の能世界とこのなつかしい風景が相まって、タイムスリップしたような不思議な感覚に陥ります。

今回の演目は、能「花月」、狂言「附子」、能「遊行柳」。

あいにくの大降りの雨で、合羽を着込んだままではプログラムも読むこともままならず、この分野の知識がない私は筋書きも分からずに戸惑いましたが、始まってしまうとその研ぎ澄まされた美に圧倒され、深く引き込まれていきました。すべての無駄をそぎ落とし、ミニマムな動きと音楽で豊かな色彩と情感を創り出す舞台芸術として、「能」は究極の高みに存在するのではないでしょうか?「祈り」のような感情を呼び起こし、深く人生の無常を省みる気持ちにさせるという意味でも、バッハなどの音楽が体現するものに共通する精神性を感じました。

打って変わって狂言には、音楽はありませんが、筋書きは現代の感覚でも十分に面白く、擬態語や擬音語が多くて漫画のよう。したがって意味も楽に理解できるので、楽しく笑いました。最後の演目「遊行柳」では雨も上がり、不規則に揺れる薪の明かりに照らされて、遠くの山々の次第に闇にかすんでいく稜線を眺めながら、ゆったりとした心で素晴らしい時間を過ごしました。

 

開演前に雨の合間を縫って急いで撮った能舞台の写真を添付します。

nougaku.jpg


唐松能楽殿での次の公演は8月29日です。ご都合がつく方は、どうぞ一度この秋田の美しい景色と能を楽しみにいらしてください。参考までに、大仙市の能楽堂のサイトもご紹介しておきます。

 

http://www.city.daisen.akita.jp/site/gyousei/org_info/kyowa/nohgakuden/index.html

6月1日 音楽におけるコミュニケーション

私は、音楽とは究極の「コミュニケーション」であり、また究極の「自由の表出」であると考えています。作曲家がその作品を通してメッセージを送り、それを演奏者が自分のフィルターを通して再構築し、聴衆に伝える。聴く者は演奏から作品の持つメッセージを受けとり、共感や驚きの体験を通して自分の内面に新しい世界を発見する。

言葉では上手く表現ができないのですが、音楽作品における「音」とは、ただ一つ一つの音の羅列や重なりではなくて、それぞれの音が関係性の上に成り立ち、意味を持っているのです。その関係性を理解することが大変重要であり、またその理解の上に無限の解釈の可能性がある。ここに音楽が究極のコミュニケーションであり、自由の象徴という理由があると思っています。

例えば、バロックの作品を演奏するとき、16分音符が多く並んでいるような箇所がありますが、それらはすべて平等に弾くのではなく、和声を感じながら弾いて行くと、自ずと特別で目立たせたい音と、和声の一部としてすっと軽やかに過ぎていく音とがあります。また和声の感じ方によって、弦楽器の場合は音程を微妙に変えることによって、いわゆる「色彩」を加えていきます。バッハなどを弾いていると、何度演奏しても違った解釈の可能性や、新しい発見があったりして、いくら勉強してもし尽くすことはありません。

簡単な例を一つ出して見ましょう。フィオッコ作の「アレグロ」の、冒頭フレーズの終わりの2つの8分音符。これは楽譜に書かれた音価は同じ8分音符ですが、決して同じに弾いてはいけません。最後から2つ目の8分音符の「ド」の音は、和声的には「アポジャトゥーラ」というもので、次の「シ」音で協和音の響きに解決する前に、一音高い音で不協和音を作り出す目的で置かれているので、強調される音なのです。バロックの和声では、協和音に解決される前の不協和音が強く意識されるのです。それらの和声の動きを理解しなければ、バロックは演奏できません。勿論どの時代の作品も和声を理解する必要はありますが、ロマン派や現代曲になると、何となく感覚でごまかせる場合もあるのです。

この間も久しぶりに弾いてみたバッハの作品の中で、重音の延ばしのところ、下の2分音符を先ほどのアポジャトゥーラの上音が次の音で解決するまでしっかり延ばしたほうが良いということを、改めて認識した箇所がありました。

 

秋田の国際教養大学にスズキ・メソードの子供たちが演奏をしに来るということで、今年の春は授業を持っていない私も、とんぼ返りでお手伝いに行ってきました。子供たちは皆さんとてもよく弾いていて、観客も感心しきり。ただ、私は今まで書いてきたような和声に対する知識=感覚が演奏から感じられないことを、大変残念に思いました。

やはり、音楽の真の楽しみは、これらのことに感覚を研ぎ澄まし、新しい発見をしていくことにあります。子供の時から訓練していくに越したことはありません。多くの日本人はこの和声感覚を持たないで演奏してしまうので、ヨーロッパなどで、日本人的演奏=正確だけれど平坦で色彩や動きのない演奏 といわれることも多くあります。

和声の感覚を伸ばしていくには、やはり室内楽=アンサンブルを多く勉強、経験することがよいと思います。これは機会があるたびに、私が最近色々なところで推奨していることなのですが、ヴァイオリンを習っている人は、ピアノも同時に習得して、和声を色々と試したりすることもお勧めします。

5月31日 新緑の軽井沢

先日23日の軽井沢大賀ホールでのリサイタルにいらしていただいた皆様、そして主催してくださった才能教育研究会の小諸支部の皆様、ありがとうございました。当日は生憎朝から本降りの雨で、コンサートの直前からは風も強くなり、嵐のような天候になってしまいましたが、多くの方が来てくださって嬉しく思いました。

コンサート翌日の午前中は久しぶりにのんびりとして、昼食には日本フィルの元コンサートマスターの大川内ご夫妻の軽井沢の別荘に招待していただきました。

その少しいびつな六角形のスペースシップのように緑の中に浮かぶ別荘は、周りの自然と見事に調和していて、家の中からは大きな窓を通して外の森や遠くの山と一体となり、内外の境界を感じさせない超現実的な心癒される空間。窓から外をみた風景を添付します。

軽井沢.jpeg 

この建物は山口誠氏の設計で、これまでに海外を含む多くの建築の本の表紙を飾り、雑誌にも多く取り上げられているので、目にされたこともあるかもしれません。

 

帰りの新幹線の車窓からは、東京に近づくまで靄のかかったような風景が続いていました。数日後コンサートにいらしてくださった方からお手紙を頂きました。私は軽井沢のつつじが満開で美しいことに心打たれましたが、その方はもっと色々気がつかれたようで、次のように書いてありました。

 

 

「あの日の帰りは、雨・霧・風と大変でしたが、とにかく軽井沢のあの新緑の美しさ、その中につつじと桜、シャクナゲなどが一度に咲いているのをみて、そしてあの高原独特の空気、本当に気持ちの良い一日となりました。」

5月5日 弘前の桜

4月の最後の日に弘前の桜を観賞に行ってきました。今年は寒さが間際まで続き、なかなか満開の予想がはっきりしなかったため、結局お堀の周りは7分咲き、城内の桜は5分咲きの頃に見に行く結果になりましたが、夜は美しくライトアップされ、光のマジックで昼間より花の色が濃く周りに反射し、まるで満開のように見えました。きっと今頃は満開で散り始め、桜吹雪が美しいのではないでしょうか・・。ちなみに梅はちょうど満開で、濃いピンクの花が美しく咲き乱れていました。

弘前桜.jpg 

帰りのJAL便で、浅田次郎氏の最新のエッセイをチェック。「58歳にして奇跡が・・」という始まりで、その見事な文章テクニックにいつものように好奇心を操られ一気に読み進むと、背が3cm伸びたという!医師の娘さんに報告すると「縮むことはあっても、伸びることはありえない」と散々言われ、かなりイジけた浅田さんだったようですが、実は私も最近同じ経験をしたので、今さら背が伸びて嬉しい気持ち、よく分かります! 数年前からジムに通うようになり、一昨年病院の検診で久しぶりに背丈を測定したら、1,5cm伸びていました。私は運動を始めたことによって、筋肉が背骨をしっかり支えるようになったから姿勢が良くなると共に伸びたと思っていますが、浅田さんも「運動を始めた」と書いてあったから、多分私と同じ理由で伸びたのではないかしら。運動すると成長ホルモンも出るらしいし・・・?

4月20日 バーバー

先週のサントリーホールでのコンサートにいらして頂いた皆様、ありがとうございました。

 

指揮者の広上淳一氏とは本当に久しぶりの共演でしたが、音楽でのコミュニケーションに言葉は必要ないと改めて感じた2日間でした。前日のリハーサルで合わせた一回目、軽く合わせながら、私のテンポ感やフレーズの歌い方などをじっくり聴いてくださって、2回目に曲の冒頭からもう一度弾いたときにはすっかり私のテンポの流れを読み込み、音楽的にも寄り添う形でサポート。その間、言葉で何か質問されたり、話し合ったりということは全くなく、あくまでも音楽のみで絶妙にコミュニケートを取ってくださいました。

演奏したバーバー(Barber, Samuel  1910-1981)は、今年がちょうど生誕100年。ヴァイオリン協奏曲を書き始めたのは、1939年の夏、スイスのシルスという小さな村。当日のプログラム解説によると、最初の2楽章をここで書き上げ、第3楽章はヨーロッパの戦争勃発寸前の混乱から逃げ出し、アメリカのペンシルヴァニアに戻って書き上げました。バーバーの音楽は、この時世界に広がっていた政治的な緊張の翳りもなく、のびのびとしてロマンティックな音楽的世界を繰り広げます。アメリカ人の持つ特有の「のびのびとした」音色、透明な広がりをもった音楽的色彩。バーバーを弾くときには、特にこの辺の表現が大切で、時に現れる切れ味のよいリズムと相まって、独特の美しさが生まれます。

 

 一昨日、仕事で松本に行き、帰りに松本城の桜を見てきました。天気も良く、満開を迎えた桜がとても美しく映えていました。写真機をうっかり忘れてしまっていたので、携帯で映したものを添付します。

 

 

NEC_0225.jpg  NEC_0226.jpg

 

 

 

 

3月19日 多目的ホール

 3月6日横浜みなとみらいホールでの日本フィルとのオール・シベリウス・プログラムのコンサートは、お陰様で満席の盛況のうちに終えることが出来ました。いらしていただいた皆様、ありがとうございました。コンサート終了後には、ロビーにて大勢のお客様に囲まれて、コンサートマスターの木野さんや指揮者のラザレフさんと一緒に、軽いインタビュー形式のトークが行われました。これは日本フィルの横浜定期では恒例のイヴェントのようで、お客様とのコミュニケーションを大切にする日本フィルならではの心遣いです。
 数日後の9日には秋田入りし、国際教養大学に新しく完成した「多目的ホール」で2時間ほどのリハーサルを行いました。ちなみにこの建物は、(株)環境デザイン研究所の仙田満氏と(株)ライフデザイン建築研究所の茂木聡氏の共同設計で、可動式の客席によって、コンサートホールの客席フロアが体育館を兼用するというユニークな設計のホールです。
 2年前に完成した図書館も両事務所のコンビで設計され、「日本建築家協会賞」を受賞しました。半円の古代ギリシャの円形劇場のような構造で、吹き抜けの中心部には見事な秋田杉が何本も支柱として天井を支えている姿は、どなたが見ても感動する圧倒的な空間を創り出しています。写真を添付します。

図書館 002.jpgのサムネール画像 10日のオープニングのイヴェントには、中嶋嶺雄学長の指揮のもと、塩川正十郎氏を始め、東京や秋田の財界や政界の名士の方々がお集まりになりました。演奏にはオランダ在住のチェンバリストの北御門さんも、遠路駆けつけて参加してくださいました。音響については、音楽専用ホールの響きの柔らかさには及ばないところがあるようですが、ホールも楽器のような「生き物」ですから、これから色々と微調整を加えながら使っていけば、より良い響きに変化していくでしょう。

 ところで、秋田に出かけた日の朝起きて喉の痛みを覚え、直ぐに手持ちの漢方薬を飲んだりして予防に努めたにもかかわらず、結局風邪を引いてしまいました。それでも一週間ほどそのまま外出が続き、結局咳がひどくなって昨日近所の医院に行き薬をもらいました。久しぶりの風邪でしたが、やはり少しでも身体が弱っていると辛いものなのですね。健康でいることは本当に大切だな、と改めて思いました。皆様も、気温の変動が激しい毎日ですから、どうぞくれぐれもお気をつけて。

3月5日 子供の感性

2月20日のリサイタルの終演後、ステージで花束を手渡してくれた可愛らしいお嬢さんが、感想文を送ってくれました。身の丈の半分以上もある大きな花束を大切に抱えて渡してくれたコトハちゃん、私が花束を受け取った後は手をつなぎ、一緒にステージの袖まで帰ってきました。とても素敵で可愛らしい感想文なので、お母様の許可を頂いてここに全文を引用します。

 花たばをあげるとき、どきどきしました。わたしが先に
行きました。ピアノよりもまえだったから、どきどきしました。
 わたなべれいこ先生と手をつなぎました。わたしは、
ヴァイオリンをひくとき手にあせをかくことがあるけれど、
わたなべれいこ先生は、手がぬれていなかったです。
きもちよかったです。
 手からきたがんばりパワーは、右ひざにいます。からだ
の中をぐるぐるまわって右手にきたら、ぴんとひけるように
なるとおもいます。        あらいことは


「手からきた頑張りパワーは、右ひざにいます」というところで、はっとさせられました。そんな風にパワーを受け取ってくれたのなら嬉しい!
でもどうして右ひざなのでしょうね? ライトを浴びてステージを歩くのに少し緊張したからかも?

次の文はさらに深く考えさせられます。
「(頑張りパワーは)からだの中をぐるぐる回って・・」
手から入ったパワーが身体の中を巡っていくなんて、子供の感性って素晴らしい!

私はヨガのクラスを受けているときに、「自分の身体のエネルギーを感じなさい」と言われて、「ふ〜ん、こんな感じかな?」なんて半信半疑でやっているのですが、コトハちゃんはそれを普通に感じることが出来るのですね!

メールで送ってくださったお母様からのメッセージに、
コトハちゃんが「今日はとても上手に弾けた。渡辺先生のがんばりパワーが
もうすぐ右手にくるからだよ。」と言ったことが書かれていました。

そんな風にパワーを感じてもらえて本当に嬉しいですよ。
ありがとう、コトハちゃん。